つむぎめむすび

つれづれなるままに、何気ない今日を。

「最近っていつですか?」的なゆるい日本語

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高校の頃、担任の先生に「『最近』ってすごく曖昧じゃないですか?」と言ったことがある。

その頃の私からしたら「最近」は「最も近い」と書くんだから、2.3日前だろという認識だった。

でも大人は数週間、数ヶ月前でも最近と言うし、おばあちゃんなんて数年前でも最近と言う。一体「最近」ってなんなんだ。「最も」とわざわざ限定してるくせに、範囲が広すぎる。そう思ってた。若かった。

あの頃から何年も経ち、今では私も数週間前くらいなら最近と言ってもいいかなと思ってる。

 

でもそういう曖昧さが言葉の良さなのかもしれない。日本語なのかもしれない。(他言語に疎すぎるので、日本語だけじゃないかもしれない)

 

私の「最近が最近じゃない説」に対し、先生は「俺は『的』が気になる」と答えてくれた。日本語を使うにあたって『的』が便利すぎると。(生徒のどんないちゃもんにも答えてくれる先生だった)

 

そして、今日その時の先生の言葉を鮮明に思い出す文章に出会った。

近代的市民社会の公共性の前提となる芸術的公共性の伝統的感覚

もはや「的」が気になって何も頭に入ってこない(笑)

 

「的」

なんと便利な言葉だろう。そう言う私だって毎日のように使う。プライベートでも使うが職場でも使う。むしろ職場の方がその便利さを意識して使っているかもしれない。なんとなく曖昧で柔らかい印象にしてくれるし、範囲が広くなるから言葉に保険もかけられる。気がする。

 

「あ〜、この仕事、○○さんがやる的なこと言ってましたよ〜」

「○○さんですか?あ〜17時に帰ってくる的な感じでしたよ」

 

こうやって冷静な気持ちで書いてると、「的」なくていいやろってなるわ。古文の「いとをかし」くらい頻繁に登場してる。あ、「感じ」も便利だよね。これも曖昧にしてくれる。

世の中曖昧だらけ。

主観でしかないし、外国人が聞いたら「なんのこっちゃ」って感じだろうなあ。(ほらまた「感じ」使ってる)こういう日本人が癖で使っちゃう表現に気付くのは、母国語話者じゃなく外国人。ベトナム人の生徒から純粋な目で質問されるといつもどきっとする。

 

意識するとあちこちに散らばってる、ゆるい日本語。

自分の言うことをゆるめたがるのが、なんだか日本人らしいなと思ったり。

はっきりしない。もやっとしてる。

でも、それが気付けば日本人の共通感覚として、お互い了解の上意味を分かち合ってる。

だから、日本人に

「最近っていつですか?」

そんな野暮な質問はやめよう。

 

#毎日更新25日目