つむぎめむすび

つれづれなるままに、何気ない今日を。

天が誤るのか、人が誤るのか(「青い空」「黄昏の岸 暁の天」より)

十二国記シリーズ「黄昏の岸 暁の天」で印象的な場面がある。登場人物が天に対して不満を爆発させる場面。どうにもならない世で孤軍奮闘してきた1人が、「天は全てを知っていたのに、どうして助けてくれないのか…」と憤る。それに対し、ともに行動していた1人が言う。

「もしも天があるなら、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」

「だが、天が実在しないなら、天が人を救うことなどあるはずがない。天に人を救うことができるのであれば、必ず過ちを犯す」389頁

今まで幻だと思っていた天が確実に「在る」ことを認識し、こう口にする。掴めそうで掴めなくて、何度も読み返した。実在しない天は人を救わない。人を救うなら過ちを犯す。 実在しない天なら何も期待しない。いや、むしろ神頼みという点では現代の私たちもかなり神に期待はしているのかもしれない。ただそれがまさか通じるなんて思ってないし、天がすべての願いを叶えてくれているのなら、とっくに世の中はカオスになっているはずだ。

「人は自らを救うしかない、ということなんだ」390頁

この言葉で締め括られるこの場面。救いたいのなら、まず自分が自分の生き方に責任を持たねばならないのか、となんとなく思った。やっぱり掴みきれなくて、まだなんとなくだけれど。

 

ふわっとだけ理解していた十二国記のこの場面。最近「青い空 幕末キリシタン類族伝 下」を読んでいて、この「黄昏の岸 暁の天」を思い出した場面があった。

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物語は、江戸時代〜明治初期の世の中を、キリスト教や仏教、神道の流れを中心に描いている。徳川幕府が倒れれば、キリシタンへの弾圧もなくなり、仏僧が鼻高々の時代も終わり、自由な信仰ができると希望を持っていた民。しかし、明治に入っても状況は悪くなる一方だった。

政府は、まだ幼少の明治天皇を担ぎ上げ、便利な駒として改革を押し進める。力の弱い政府の言うことを民に従わせるため、「現人神(あらひとがみ)」を明治天皇であるとし、神の力を持って統治しようとしたのである。もちろん天皇は神ではないし、宗教的な解釈もまるきり違う。ただ、宗教に携わる者たちに異を唱える者はほとんどいなかった。従っていれば身分も土地もなにもかも保証されるからだ。

その状況に危機感を覚えた勝海舟は言う。

「問題はその政治が誤りだったときだ。天子(天皇)は、そうではなくとも、この国で唯一無二のお方なのに、神などということになったら、天子の名で行った政治を、誤りだったと取り消すわけにはいくまい。誤った政治をどこまでもつづけていくほかなくなる。」426頁

もちろん小説なので、実際に勝がこの言葉を話したわけではない。とはいえ、かなり説得力のある場面だった。ただでさえ国民が畏怖を抱く天皇という存在。それが神であると解釈され、さらに政治の全てを天皇の命であるとするならば、そこにあるのはもはや畏怖ではなく恐怖だ。

「しかし、そうした政治は誤りだから、いつかは破綻する。そのときにどうするかだ。徳川の政権は上様に責任がある体制になっていたから、最後は慶喜公が政権を朝廷に返上して政治的責任をとったが、天子は返上するところがない。結局天子が責任をかぶって、天子の名を借りてやりたい放題のことをやった連中は、誰も責任をとらないということになる」 426頁

なんと…神としておだてあげている天皇に責任をなすりつける構造…!!もし誤りがあれば、自分は辞職すれば済むのである。しかも作中で政府はかなり巧妙に、強かに、この構造に持っていっていた。小さな餌を見つけてなんとなく流れに任せて追っていってたら、気付いたらみんなで罠の中にいた、みたいな。そんな怖さ。

よく理解もせず宗教を政治利用としか考えていなかった者たちが上に立つ恐怖。保身ばかりで実を見ようとしない僧侶、神主。奴隷のような扱いを受けるキリシタン。実を見る余裕もないほど、生活で精一杯の民。
この政治が誤ることはないとおごり、いざ何か起きても誤っていることを認めないのは、これほどに危険なのだと背筋が冷えた。 

「結局連中が考えているのは、天子の威光を負って自分たちを飾ることばかりなのさ。一人の忠臣もいない。本当の忠臣というのは、天子の威光など負わずに、みずから天子に威光を添えようとするものだよ」427頁

「みずから」結局は自分しかいない。自分が自分の足で立って、自分の頭で考えているか。自分がどれほどの責任を持って生きているか。

 

「昔は良かったな」


そんな言葉を耳にすることは多いが、昔も散々だったんだなと思った。どんな時代が生きやすかったのだろう。どんな時代だったら、時代に嘆かずに生きていけるのだろう。

でも、この時代に生きているのならば、それが私の宿命だ。それなら仕方がない。私が憤ったところで、涙を流したところで、苦しんだところで、何かが変わる世の中でもないし、ちっぽけだけど。だったら、自分ぐらい責任持って生きよう。せめて自分だけは救ってあげよう。