つむぎめむすび

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「私、この景色を一生見ていられる」【イタリア・ベネチア】

※以前運営していたブログから少しずつ移行しています。この記事は2018年無職ふらふら期の記事です。

 

ベネチアを歩き回って、きれいな景色がちらっと見えるたびに、穏やかな波と行きかう船を目にするたびに、何度もそう思った。

 

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この感情は、大好きな尾道の景色を前にした時と同じ。

基本港町が好きなんかな?笑

海と町の様子はいくら見ても飽きない。

いつまでも見ていられる。

 

気付けば目の前を船が何往復もしていて、その時初めて時計を見て、過ぎた時間の長さに驚くっていう。

ただそこに海があるだけで、なんとなくのんびりした気分になるのはなぜだろう。

もう少しだけゆっくりしてていいかな、と思えるのはなぜだろう。

 

ベネチアのことを初めて知った時、「水の都」というワードとともに目にしたのは「いつか沈むかもしれない」という情報だった。

今回初めて行ったので、昔と比べて水位が上がっているのか比較することはできないけれど、建物ギリギリのところまで水が来ている箇所をいくつも見つけた。

 

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もしどんどん水位が上がったら一階部分は使えなくなるのでは?と思ったり。

(建物の老朽化も原因かもしれないけれど、目で確認する限り既に一階を使っていない建物も結構あるようだった)

 

今回旅のお供だった「地球の歩き方」にも、「アクア・アルタ(高潮)」の時は通路に簡易橋が渡されることもあるほど水位が上がる時もあると記載がある。

 

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まだまだ先かもしれないけれど、もしかしたら目の前のこの景色をずっと見ていられないかもしれない。

 

そう思うと、なんだかとても寂しい気持ちになりました。

当たり前じゃないかもしれないこの町の存在。

その町を当たり前のように存在させるために、私にできることなんてあるのだろうか。

 

ちっぽけかもしれないけれど、これだけは声を大にして言いたい。

私はこの町が好きだ。

この景色をずっとずっと見ていたい。

 

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