「いつか、まで、生き抜こう」命を守る行動を
去年家族で遊びに行った人吉。
ノスタルジックでのんびりした空気が流れてて、穏やかで、居心地がいい街だった。
訪れたどの店も、昔から地域の人に愛されてるんだろうなって気がした。
きらきらと美しい川は濁流になった。いまや、その実家は「家はあるけど、中身はない」状態らしい。
私に何ができる?何もできない。
ほぼ毎晩私の住む地域でも雨が降り続き、防災無線で大雨と避難の情報が流れている。また今夜も雨が降る予報が出ている。
コロナの感染者が急増し、「鹿児島県民は危ない」というレッテルを貼られている以上、直接助けに行くことは許されない。
結局、自衛しかないのかな。
いつか、まで、生き抜こう。
無力を認めて、背伸びせず、ただ自分を守る。それしかないのかもしれない。メディアで流れる「命を守る行動を」という言葉がようやく自分事としてしっくり来た気がする。
みんながみんな「自分だけは生きる」という気持ちを持っていれば、また会える。結局よほど慣れている人じゃないと、他人を守る余裕がある人はいないし、自分だけで精一杯。
だから私にできることは、誰かを助けることでも、誰かを心配することでもなく、ただ自分の身を守る。それだけ。でもきっとそれが1番望まれていること。
そう無理やりにでも納得させて、これ以上暗いニュースが飛び込んで来ないように願いながら、今日も雨音で眠れない夜を過ごす。それぞれの場所にいる、私の大切な人たちも身を守っていることを願って。
生き抜こう。
自由に移動できて、自由に会いたい人に会いに行けて、笑顔で再会する日まで。
#毎日更新66日目