つむぎめむすび

つれづれなるままに、何気ない今日を。

狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり

今日は七夕。七夕というと思い出すのが、伊勢物語八十二段の「渚の院」。高校の頃に勉強して、なんとなくそれからずっと覚えてる。
この段を私なりの訳でご紹介。あくまで「私なり」です。ご注意を。途中途中で勝手に私が感想述べてます。

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むかしむかし、惟喬の親王という親王がいました。山崎の向こうの水無瀬というところに別荘があって、毎年桜が満開の時には、その別荘へお花見に行っていました。

そういう時はいつも、お気に入りの「右の馬の頭なりける人」を一緒に連れて行くのがお決まり。

一応狩りをする名目で来たのですが、そんなことは忘れて、お酒を飲みながら和歌を詠もうということになりました。狩りに来ている渚の家の桜は特に美しいのです。桜の枝を取ってきて(取るんかい)、それぞれ和歌を詠みました。親王お気に入りの「右の馬の頭なりける人」は…

世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし

と詠みました。世の中に桜がなかったら、散らないだろうかとハラハラしなくてすむから、春をもっと呑気に過ごせるのになあ。

美しいからなくなって欲しい…この矛盾を詠む感じがいかにも和歌って感じ。教科書的に満点の歌では(笑)

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別の人は、

散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき

と詠みました。散るからこそ、桜は美しいんじゃないですか。なににつけても永遠はないのだし。とのこと。(憂き世であるこの世をつい嘆いちゃう感じもいかにも和歌)
まあ、そんなこんなでみんなで楽しんでいたら日が暮れてしまいました。

 

でもみんなまだ飲み足りない様子。供の人が持ってきたお酒を、せっかくならいい場所で飲みたいなあと言って「天の河」というところに行きました。

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いい場所があったとみんなでお酒を飲んでると、また親王が和歌を詠むように言いました。(昔の人は飲み会といえば和歌。大変や。おちおち酔ってられない)
そしたらまた「右の馬の頭なりける人」が詠みました(さすが)

狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり

1日狩りだの飲みだのしてたら、すっかり日が暮れてしまった。(ほぼ飲みだろ)今夜は織姫に宿を借りようかな。せっかく天の河原に私は来たのだし。

この和歌すっごい好きなの!「たなばたつめ」「天の河原」って七夕の情景が浮かぶのもいいし、遊びに来て勝手に日暮れまで遊んだのに、織姫に宿を借りようとかいう図々しさも好き。笑

親王はこの和歌に、お返しの和歌をしたいけれど、全然いいのが思い浮かばない(頑張れや)ので、お供についていた紀の有常が見かねて詠んでくれました。

一年に ひとたび来ます 君待てば 宿かす人も あらじとぞ思ふ

1年にたった1回来る彦星だけを待っているのですから、それ以外の人に宿を貸すことはないと思いますよ。

ど正論きた!辛辣!それな!私もそう思う!笑
この宿は彦星のものだ!こんな酒臭い酔っ払いに貸せるかって気分。


結局親王たちは別荘に帰って、夜明けまで酒飲んで(またかよ)、話して、和歌を詠んで楽しく過ごしましたとさ。この後月と山が追いかけっこする和歌があるけど、略(笑)

 

この「渚の院」は、ひとつの段に、桜、七夕、月の和歌があって、すごくきれいで日本らしい段だなあと思う。共感できたり、思わず突っ込んじゃったり…昔の日本人もたいして変わらないのだなあと思いつつ、楽しめる。時々本当に「何考エテルカ分カラナイ」って時もあるけど(笑)

今日は七夕。ずっと待っている「天の河」の織姫のもとにも彦星は来ただろうか。私の住むところはあいにくのお天気だけど、どうか楽しく過ごしていますように。

 

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#毎日更新65日目