つむぎめむすび

つれづれなるままに、何気ない今日を。

落ち延びた主に未来はあるのか(「麒麟がくる」「東の海神 西の滄海」より)

麒麟がくる」第17回「長良川の対決」を見て、十二国記「東の海神 西の滄海」を思い出した。どこにそんな需要があるのかっていうテーマだけど、自分の整理と記録として書き留めておこうと思う。

 

麒麟がくる」第17回(この作品の前半の山場だと思っている)では、斎藤道三が嫡男高政に討たれ、その後高政が道三側についた明智城に攻めて来る。高政の兵は3000余り。対する明智は300の兵。どう見ても勝ち目はない。討死必須。叔父光安は、高政軍がまもなく門に火を放つだろうその土壇場の状況で光秀に家督を譲り、明智家紋の旗を託し、逃げろと言う。生き延びて明智家の主として再び城を持つ身になれと。それを光秀の亡き父の声として聞けと言う。
 

そのやりとりを見ていて、最近中毒レベルにはまっている十二国記シリーズ「東の海神 西の滄海 小野不由美作」を思い出した。

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ファンタジー小説なので忠実なわけではないが、この小説の中でも似たような場面がある。時は戦国。瀬戸内の小さな城小松家の当主小松尚隆が、村上家に迫られ、勝ち目のない中、民に「どうか若(尚隆)だけはお逃げください」と頼まれるのだ。それを聞いて、劣勢の中でも普段通りへらへらと笑っていた尚隆が激怒する。

「俺はこの国の主人だぞ。この国の命運を担っておるんだ!それを民を捨てて逃げろと言うのか!」238頁

自分が「若」と周りにちやほやされて生きてきたのに、ここに来てそんな民をも捨ててなんの意味があるのかと。

「俺一人生き延びて小松を再興せよだと?ー笑わせるな!小松の民を見殺しにして、それで小松を興せとぬかすか。それはいったいどんな国だ。城の中に俺一人で、そこで何をせよと言うのだ!」239頁

 兵ではない民すら救えないこの状況。まさに、全員が討ち死にするしか未来はないのである。その中で民はどうしても尚隆だけは、と願う。

「俺の首ならくれてやる。首を落とされる程度のことが何ほどのことだ。民は俺の身体だ。民を殺されるは身体をえぐられることだ。首を失くすよりそれのほうが余程痛い」239頁

 ただ尚隆はどうしても譲らない。民が1人死ねば、それだけ自分の身体も失う。普段飄々として笑っている尚隆だけに、それほど民のことを思っていたのかと正直驚く。

「ーまあ、どうせ俺の首なぞ、振ればからから音のする飾りのようなものだからな」240頁

 これは思わず笑った。なんとも尚隆らしい。それほどに一国の主である「自分」を冷静に、客観視している。主がそうと決めたのなら、説得して動かぬのなら、家臣や民は強引に動かすことはできない。結局尚隆は留まることを選んだ。(まあ、この後本人の意思とは全く関係なく、麒麟・六太によって助けられ、十二国記の世界へと向かうのだが)

 

対して、光秀は逃げるという選択をした。ただし、「落ち延びよというのが叔父上のご命令である」とした。光秀も結局「命令」と解釈しなければ、慣れ親しんだ土地、家臣、民、そして叔父光安を置いて逃げることはできなかったのだろう。大河ドラマファンタジー小説とはいえ、追い詰められた家長の葛藤が痛いほど伝わってきた。

 

尚隆は民とともに死ぬことを選んだ。尚隆目線、主目線だとそりゃそうだろう。民を捨てて自分だけが生き残るなんて、虚しく卑怯だ。

でも、きっと民ならなんとしてでも主にだけは生き抜いて欲しいと願うと思う。たとえ、主が逃げても逃げなくても、自分が死ぬのは変わりないのだから。だったら、命尽きる直前、目を閉じる瞬間、抱くのは希望でありたい。

「私は死んだが、主はどこかに落ち延び、生きられるはずだ…だとしたら、いつか、いつかどこかで『故郷』が復活するはずだ…」と。
その時に故郷にいる人は今の民ではないだろう。全員討ち死になのだから。環境も人も何もかも違っていたとしても、主が生き延びることで未来に希望を託せる。根拠も自信も何もないが、どんな時代も人はそんな不確かな希望にすがって生きているものだと思う。私だってそう。だったら、死ぬ間際、主と一緒に果てた誇りよりも、未来に希望を繋いだ誇りの方がよっぽど清々しいものなのだろう。

 

麒麟がくる」では刀を捨て農民となれば、その者たちまで切り捨てることはないだろうから、「また会おう」と約束して発つ。

残る民代表の伝吾が無理して笑いながら、「いつの日かお戻りになられた時、何も変わらずこの里、村はあります。それをまた見て頂くために、今日は旅に出てくださりませ」と送り出すのがまた泣ける。伝吾どうか生き延びてくれ…。

 

土壇場の状況なのに、命がけの状況なのに、全ての者の心にあるのは未来への希望。こんなに純粋に未来を見られるのが、なんとなく羨ましくもある。尚隆は十二国記の中で「雁」という新たな国を得て、大王朝を築いた。光秀は越前へ。犠牲になったたくさんの命の上に立ち、光秀は民の希望となれるのか。麒麟は来るのか。これからも目が離せない。

コロナウイルスの関係で放送休止が非常に口惜しからまし)

 

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